新聞記事

記者のUさんは、何度も例会に足を運んでくれました。会員さんへの聞き取りも丁寧にしてくださいました。この記事で会の存在を少しでも知っていただけたらと思います。
   能登原 裕子    2018.5.5
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    思い出あれこれー毛利  甚八さんに寄せて

 

「ねえ、君、近くに郵便局のATMありませんか?財布にあまり入ってないのに今気が付いたんだよね」初対面の私にいきなり毛利さんからかけられた言葉。エッ!もうすぐシンポジウムが始まるんですけど~。「あの、失礼ですが、今日の謝金で何とかなると思いまが…」 何とも、とんちんかんな返答をした私に「助かるなぁ」とにっこり笑われ、こぼれた毛利さんの白い歯が今でも忘れられません。

 

 

毛利甚八さんの訃報が入ったのは、20151122日の早朝でした。地元西日本新聞のI記者からの電話に、絶句すると同時に、やはりとうとう逝かれたのかという思いがじわじわと広がっていきました。体調を崩されているという話しは、それとなく聞いており、また電話にもメールにも返信がないことに、秘かに相当お悪いのだろうとは感じていました。57歳、やはり早すぎる死でした。

 

 

毛利さんとの出会いは、ははこぐさの会主催のシンポジウム『「非行」と向き合う』(20055月)が初めてでした。出演依頼交渉は、旧知の間柄である元家裁調査官の正木信二郎さんに一任しており、主催者側としては当日毛利さんと初めてお会いするという、礼を失した対応でしたが、挨拶もそこそこに毛利さんからの一言が冒頭の「ねえ、君…」でした。その気取らなさ、気安さは、まさに「家栽の人」の桑田判事の姿とダブリました。

 

 

ははこぐさの会9周年シンポジウム『少年院のかたち』(201211月)では、篤志面接委員をされている中津少年学院院長やセカンドチャンス!の若者2人と熱いトークを繰り広げ、70人あまりの参加者に感銘を与えました。2013年暮れに、福岡高裁・地裁・簡裁が移転する庁舎の中に、家裁を同じ庁舎内に一本化する計画が発覚し「家裁入居異議あり」と西日本新聞で報道されました。福岡県弁護士会も反対意見の声をあげており、活動を通じて知り合った弁護士さん達やI記者と急遽、裁判所集約反対シンポジウムを開こうと話し合い、基調講演を毛利さんに依頼しました。ははこぐさの会主催としたこのシンポジウム『愛の殿堂としての家庭裁判所』(20142月)には、取組みまでの短期間にもかかわらず、60人もの方達が集まってくださり、「家裁は悩みを持つ弱者のための場所だ。(集約が)利便性の向上だけでは、身近な問題を他人に知られずに解決する家裁本来の役割を果たせなくなる」との講演多くの共感が渦巻きました。

 

このシンポジウムのあとの懇親会でお話ししたのが、毛利さんの元気なお姿を見た最後になりました。懇親会の席上でサインをお願いしたのが、「白土三平伝 カムイ伝の真実です。愛用のカメラを構えた毛利さんの自画像入りです。私は「カムイ伝」の愛読者だったので、毛利さんと話しが盛り上がり、いいお酒が飲めました。

 

 

中津少年学院の運動会に招かれたときには、いっしょに少年達の演技を見たり、お弁当を食べたことなど懐かしく思い出します。保護者の来ていない少年の親代わりに競技に参加し、少年とコロコロ笑い合っていた無邪気な笑顔を思い出します。

 

福岡での講演があるときは、時間の許す限り参加しました。主催者でもない私は、懇親会に参加しようかどうか迷っていると、「アレッ!来ないの?いっしょに飲みましょ」と気配りをしてくれ、席上であの美声を何度も聞かせてもらいました。本当に歌もギターも玄人はだしでした。三次会のカラオケでもひたすら聞き入ったものでした。

 

    さりげなさと気配りの人、あたたかい思い出を残してくれた人。

 

   毛利甚八さん、さようなら。

 

合掌。

 

 

能登原 裕子   2016.2.29

   

 

10周年記念

ははこぐさの会(ふくおか「非行」と向き合う親たちの会)10周年に寄せて

                          代表世話人 能登原裕子

 何度も繰り返す非行、先の見えない毎日、そんな息子が少しずつ立ち直りつつあったころ、福岡で親たちの会が発足したのは10年前だった。ところが、懲りない息子は窃盗(車上荒らし)が発覚し、5度目の逮捕となり、少年鑑別所で20歳を迎えた。審判で検察官送致(逆送)となり、身柄は福岡拘置所に移されていた。会発足の会場は、その福岡拘置所から徒歩2分。刑事裁判を待つ被告の身となった息子に、親としてのメッセージを発信する場にもなった。あんなバカ息子、どうしようもない息子、だけどやはりかわいかった、あなたのこと好きだった、そんな想いを込めて、「いつも想う」という花言葉をもつ“ははこぐさ”を会の名称にした。拘置所の息子に、この母の想いが届けと、参加してくださったみなさんの前で、初めて息子との年月を話した日でもあった。

 あれから10年、一波乱も二波乱もあった息子だが、毎月の例会で親としての辛さや苦しさを吐き出し、会員のみなさんに受け止めてもらい、励ましていただき、私自身が乗り越えてこられたと思う。もしもこの会がなかったら、相変わらず地域で孤立し、自分を責め、息子に絶望し、やり場のない気持ちを持てあましていただろうと思う。会はなにより私自身の拠り所であったと、つくづく思う。

 この10年で述べ2100人の方々が参加してくださった。200人近くのお父さん・お母さんとお会いできた。涙・共感ときには笑いの例会。たったお二人の参加のときもあったが、いつでもドアをノックできるように受付に座り続けた。夫も毎回参加した。夫の支えと協力がなければ、この10年やってこられなかったとも思う。

 10周年記念では、付添人として少年に寄り添ってこられた弁護士をプロデューサーに迎え、元非行少年3人(セカンドチャンス!福岡 SFD21JAPAN―地域で非行少年の居場所づくりをしている団体 協力雇用主の元で働いている青年)、いじめ・ひきこもりを経験した青年、養護施設で多感な少女時代を過ごした女性など5人に語っていただいた。題して「チナケンproduce僕らのたまり場―あのときの僕ら いまの僕ら あしたの僕らー若者たちそれぞれの生き様」。「ほんとうにあの人達は元非行少年ですか?」「うちは始まったばかりですが、なんだか希望が持てました。頑張ります」「こんなステキな若者がある時期荒れていたなんて…。親や大人の向き合いがどんなに大事かと思いました」などの感想が寄せられ、参加のみなさんに、とてもいい会だったと温かい言葉をかけていただいた。

 語る人5人が弁護士チナケンさんの問いかけに、飾ることなく自分の言葉で率直に思いを話したことが感動を呼んだのだろう。ひきこもり経験の青年はリコーダーと語りの活動をしているが、4曲演奏をお願いした。リコーダーのやさしい音色が会場いっぱいに広がり、とても癒されたと青年にお礼を述べる参加者も多かった。語る人たちと参加者が心ひとつになったようなそんな10周年記念であった。

 

    能登原裕子  2013.11.15

 

 

巻頭エッセイ

「ははこぐさ通信」の巻頭を飾るエッセイは、多くの人の協力がある。

会員さん、支援者の方、転載を快諾してくださる方など、多くの書き手に支えられ113号まで途切れることなく掲載することができた。

 

中でも会員さんの協力は大きい。

毎月の例会に参加はできないが、相談電話や通信だけで繋がっている会員さん達が、積極的に協力してくださる。

 

通信を読むだけで元気が出ます…声しか知らない会員さんが原稿を送ってくださる。

私の思いを書いてください…一度もお会いしたことのない会員さんが、電話の向こうで言ってくださる。

 

もちろん、例会に何度も参加されている会員さんに原稿をお願いすると、快諾してくださる。

 

時には私や夫も筆を取ることもあるけど、多くはみなさんの協力が巻頭を飾る。

 

これからもよろしくお願いします(o*。_。)oペコッ

 

   能登原裕子   2013.4.12

 

 

 

会の名前

通信10月号にも書いたが、ふくおか「非行」と向き合う親たちの会は「ははこぐさの会」と言う。

ははこぐさは、春の七草のひとつゴギョウの別名、茎の先っぽに黄色い小さな花を寄せ合って咲いている。花言葉は「いつも想う」。

あんなバカ息子だけど、あんなどうしようもない息子だけど、それでも身を削る想いをしながらも愛しているとのメッセージをこめて、名付けた。

 

全国の親たちの会には、その地域や想いを冠した名前が付けられている。

東京のあめあがりの会

九州では雨やどりの会(熊本) ぱすたの会(大分) 飛行船の会(佐賀) にじのわ会(宮崎)

北海道ゆきどけの会 神奈川道草の会 東海ひまわりの会 奈良つきあかりの会 富山チューリップの会 岐阜ささゆりの会 大阪みおの会etc.

 

福岡でもネーミングには密かに悩んだ。

飛梅?(大宰府であまりにも有名)

つつじ?(県花)

うぐいす?(県鳥)

どれも気持ちにぴったりこなくて(^^;)

 

息子への想いを表せる「花言葉」を探していたときに出会ったのが、ははこぐさだった。

 

  能登原裕子  2012.11.8

 

 

まだ先の話しですが‥

ははこぐさの会は、今年11月9周年を迎えます。
毎年周年記念講演orシンポを開催しています。
1周年記念講演 「それでも愛してくれますか」 能重真作さん
2周年記念講演 「いつか雨はあがるから」 春野すみれさん
3周年記念シンポ「死と隣り合わせの「非行」シンナーを考える」
4周年記念シンポ「あのとき私たちは…子どもの“荒れ”と向き合って」
5周年記念講演 「「非行」を乗り越えて、いまーあのとき僕は…親は…そして今」 藤岡克義さん・工藤良さん
6周年記念講演 「少年犯罪厳罰化の今日…少年審判の現場より」池田耕一郎さん
7周年記念講演 「「信じる」ということ」野口義弘さん
8周年記念講演 「トークライブ・育ちの軌跡」稲栄康代さん・光永民恵さん
 
... そして、今年11月10日(土)9周年シンポを企画しています。
今の悩みは参加してくださる方が6年目あたりから減少していることです。広報がまずいのか、企画に魅力がないのか、「非行」そのものへの会のアプローチがずれてきたのか、とっても悩んでいます。「非行」の実態、非行の子を持つ親の悩みや苦悩を知っていただくためには、当事者が発信することが一番の近道だと思い、発信し続けることに力を注いだ9年間でした。

9周年記念シンポは「少年院のかたち」と題し、中津少年院院長、毛利甚八さん、吉永拓哉さん、セカンドチャンス!の若者をパネラーに迎え、コーディネーターは正木信二郎さんです。
  
是非、多くの方においでいただきたいと願っているのですが…。

     能登原裕子  2012・5・2



寒中お見舞い申し上げます

新しい年を迎え、みなさまいかがお過ごしですか。

 

私事ですが、昨年クリスマスイブに義父が亡くなり、慌ただしい年末年始でした。

毎年箱根駅伝を楽しみにしていますが、今年は母校が4位に終わり、昨年の優勝の興奮がちょっと醒め、寂しい年初めでした(苦笑)。

 

お正月になると、あぁ今年は息子がいるなと思います。

16歳から22歳までの間、国の施設で迎えた正月は5回、どうなるんだ~と密かに流した涙はもう乾いてしまいましたが、胸の涙壺は今でもゆらっと蠢きます。

 

「ははこぐさの会」は今年9回目のお正月を迎えました。

 

     能登原裕子 2012.1.3

 

孫5人

私には5人の孫がいます。

娘のところは6歳、3歳、1歳の女の子。

息子のところは5歳、2歳の男の子。

5人が揃うと、それはもうにぎやかを通り越して、家の中はおもちゃ箱をひっくり返したような大騒ぎ!

男の子は元気活発、テンションあがりっぱなしで、ついつい乱暴になります。

女の子もつられて、テンションあがって、おもちゃの奪い合いに加わります。

この孫たちをおとなしくさせるのが、お気に入りのビデオ。

「ゴーオンジャー」と「ゴーカイジャー」を仲良く正座して観ています。

歩き始めた1歳の女の子は、ニコニコしながらヨチヨチと4人の周りを散歩です。

    能登原裕子 2011.12.19

 

 

運動会

少年院の運動会を観たのは今回で三度目です。

息子が最初に入院した少年院のダンスは、「だんご三兄弟」でした。

だんごの衣装でかわいく踊っていたのが、なんかおかしくって笑いました。

巷では「だんご三兄弟」が流れない日はないくらいの大ヒットでしたが、

息子たちはこの曲を知らなかったようです。

世間様とは離れた場所での生活は、ヒット曲やブレイクの芸能人に接する機会が少ないからでしょう。

二度目の少年院の運動会は、寮対抗リレーが大盛り上がり。

私も興奮して、嵐がんばれ~!走れ~!と大声で応援したのを覚えています。

三度目の運動会は、先日保護者会講演に招かれたときです。

午前中の運動会を観させていただきました。

閉会式で少年たちが歌った♪GReeeeN作詞作曲の「父母唄」が胸に響きました。

   能登原裕子 2011.10.23

 

福岡少年院

さきほど福岡少年院から電話がありました。

10月の保護者会講演の日程確認です。

仮退院の決まった少年の保護者の方たちにお話しさせていただく活動も6年目を迎えました。

隔月年6回の講演です。

息子の仮退院が決まったときの

期待ーこれできちんと更生に向けて生きてくれるだろうー 

不安ーまた元の生活に戻らないだろうかーは、今でも胸をざわざわさせます。

息子とのバトルに明け暮れた日々、やっと息子を受け入れられるようになった日々、息子の「おかん、今まで見捨てんでくれてありがとう」の一言で、この言葉を励みに私は生きていけると思ったことなどを話します。

同じような思いの保護者の方たちが多いのでしょう。

そっと目頭を押さえるお母さんたちのすすり泣きに、私はいつも涙ぐんでしまいます。

   能登原裕子 2011.9.29